玄米食の利点と欠点④|食べていたのは最初から白米だった!

9,000年ぐらい前に稲が出現したのは間違いないようですが、当然、稲はそのままでは食べられません。まず脱穀して玄米にしなければ食べられませんから、玄米として食べられたのは稲作の出現と略同じ時期だったと推定できます。

となると、9,000年前の中国の人々は玄米を食べていた、ということになりますが、それがそうではなかったのです。信じられないかも知れませんが、そんな大昔でも、人々は玄米を搗いて「白米」にして食べていたようなのです。

このことははっきりとした証拠はありませんが、まず間違いないようです。何故なら、遺跡の洞窟の壁に「米を搗く」様子がハッキリと描かれているからです。

9,000年前に「稲」→「脱穀」(玄米) →「搗く」(白米) →「炊く」(飯) ということをやっていたのです。


では、中国から朝鮮半島を経て日本にも日本にも伝来した米作ですが、日本でも稲作当初から白米として食べられていたようです。

日本への稲作の伝来は約3,000年前、縄文時代後期とされています。稲と稲を栽培する人間がやって来たということです。したがって、大陸での食べられ方がそのまま伝わったと考えるのが自然です。

時代がずっと下がった平安時代、宮中の女性の顔は下膨れの「おかめ顔」です。これが当時の美人とされていました。もし、当時の女性が玄米を食べていたとしたら、こんな顔にはなりません。

白米よりも固く消化しにくい玄米を食べていれば、噛み砕く力が顔に備わりますから、今よりもがっちりした顔型になるはずです。

白米を主食にしていたのは公家や上級武士などの支配階級です。百姓はじめ庶民は、コメは年貢として上納しますから、自分たちの口に入るのは少量になります。日々の食事は、この少量の白米にヒエやアワ、野菜などを混ぜて粥状にして食べていたようです。この食事は「糧飯(かてめし)」と呼ばれていました。

支配者階級はごく少数で、人口の95%はいわゆる「下々の民」です。彼らが食べていた糧飯の利点は脚気にならないことです。脚気というビタミン不足による病気になっていたのは、主に支配者階級でした。

いずれにしても、大陸からの稲作伝来当初から白米が食べられていたのは事実のようです。では、何故玄米でなく、白米が食べられていたのでしょうか?

【出典】食物療法大全「食」による病気治しの考証 鶴見隆史著

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